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興隆窪文化と黄河中・下流域の新石器文化
賈 笑氷(中国社会科学院考古研究所・興隆溝遺跡調査副隊長)

1.興隆窪遺跡
図1 興隆窪文化期の集落形態
 興隆窪集落遺跡は内蒙古赤峰市放漢旗宝国吐郷興隆窪村に位置し,大凌河の支流である 牛河上流の右岸の低い丘陵上に立地する。1982年の秋から冬にかけ,中国社会科学院考古研究所内蒙古工作隊と敖漢旗博物館が合同で,敖東南部において遺跡の分布調査を行ない,興隆窪遺跡において一種の器壁の厚い夾砂陶罐の破片と打製石鍬を表採した。それはこの地区で既に知られていた考古学文化の遺物と明らかに違い, このわずかな発見は学界の関心を引き起こした。この種の考古学文化の牲質,年代および既知の考古学文化との関係等の問題を明らかにするために,考古研究所内蒙古工作隊は1983年から1986年度まで前後4回にわたり興隆窪遺跡で発掘調査を行ない,この遺跡を以て中国北方の比較的年代の早い先史文化の代表の一つとし,これを「興隆窪文化」と命名した。現在の知見では当文化の分布範囲は,遼河流域および大凌河流域を中心として北は吉林省の南西部辺縁にまで達し,南は燕山南麓の広大な区城内に広がる。興隆窪集落の全体の構造をさらに明らかにするため,1992年から1993年に至るまで,考古研究所内蒙古工作隊は連続して2回興隆窪遺跡での大規模な考古学発掘を行ない,非常に重要な遺跡・遺物の資料を得た。また1992年度の中国十大考古新発見のうちの一つに選ばれ,国家文物局が最初に授与した1993年度田野考古賞を獲得した。
 6回の発掘を通じて,興隆窪遺跡は総面積約3. 5万uが明らかになり,1重の環濠,住居址160基余り,貯蔵穴・灰坑400基余り,屋内墓葬30基余りが検出され,さらに大量の土器・石器・骨器・玉器等の材質の実物資料と,鹿・豚等の動物骨が出土した。放射性炭素14年代測定を基に,高精度の樹林校正によると,興隆窪文化の年代は紀元前6250〜5650年前後である。興隆窪遺跡はこれまでのところ,中国新石器時代の中で保存が最もよく,年代の最も古い典型的な集落遺跡である。

2.興隆窪文化とその位置づけ
 興隆窪集落遺跡の発掘では,大量の土器,石器,骨器,玉器等の実物資料が出土した。地層学,型式学及び放射性炭素14年代の測定等の方面の研究を通して,興隆窪遺跡の代表的な遺存は,待性の明らかな遺物群,一定の分布地域および一定の存在時期があり,考古学文化の命名条件に適合するので,この種の遺存を「興隆窪文化」と命名した。
 興隆窪文化の主要な分布範囲は長城地帯の東に位置し,中国考古学区系中の内蒙古東南部一遼寧西部の文化区にあたり,この地区は北は広大な東北平原に模し,南は燕山山地に至り,広大な中原の内陸奥地に連なる。既に新石器時代の開始より多くの諸文化の合流する地帯となっていた。興隆窪文化は当地区ないし東北地区の,今まで知られるところの最も古い新石器文化であり,その発見は当地区及び関連する地区の新石器文化の源流,系譜の研究に新たな一章を開いた。興隆窪文化の確認は,紅山文化の源流を当地に求め当て,内蒙古東南部−遼寧西部の新石器時代文化の豊富な特性の土着性を提示し,当地区と黄河流域の新石器時代文化との平行した発展と,相互影響の歴史的地位を確定し,考古学の角度からこの地区が中国文明の重要な起源地の一つであることを証明した。興隆窪遺跡出土の玉器は中国で現在知るところの最も年代の古い玉器であり,中国玉器の起源と発展過程の研究に貴重な実物資料を提供した。
 興隆窪前期集落は中国で現在知るところの考古学的発掘を通じて集落全体の様相が明らかになった唯一の集落であり,保存もよく年代も一番古い環濠集落遺跡である。国内外の隣接する地域の先史集落形態との対比分析から,まさにこのような濠を掘りめぐらし,住居を配列することを主要な特性とする先史時代の集落を,「興隆窪集落型式」と称することにする。興隆窪後期集落の一部の発見(後期集落の保存は不完全であり,大部分は夏家店下層文化の集落に壊されている)は,同一地点での興隆窪集落の発展過程,興隆窪の住民の社会,組織,人口規模,経済形態,宗教信仰,審美情緒等の方面の変遷の過程の確実な研究を可能にし,中国先史社会の研究に極めて典型的な実例を提供した。
 この現在より約8000年前の環濠集落である興隆窪集落遺跡の発掘と研究は,必ずや中国先史集落考古学を新たな段階に押し進め、我々が先史人類の歴史を理解する一つの窓口となるであろう。



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